満20年の感慨とこれからのテクノウェイブ
代表の吉田です。
この10年は特に絶妙なバランスを要求されることの連続とは言え、まあ20年よく持ったなぁというのが、率直な感想と感慨です。
日本では、会社を設立すると5年で約80%の会社が活動を休止し、残った20%の会社も次の5年で約80%の会社が市場から消えるそうです。
20年というと、そこから更に10年ですから、20年生き残る会社は“3%未満”と言われているのも、あながち間違いではないのかもしれません。ちなみに国税庁が調査した「中小企業が設立から倒産するまでの期間をまとめた会社生存率」によれば、5年で14.8%、10年で6.3%、20年では0.4%という厳しい生存率になっています。
各統計機関の統計により若干の違いがあるとは思いますが、20年前の会社設立時の東京商工会議所の同期生のその後を見ていても、私も同じような感覚です。
しかし、当然のことながら、会社は存在していればいいという訳ではありません。
むしろ、真の目的は、そのゴーイングコンサーンの先にある会社設立の理念やビジョンにあるというのが、本質的な答えです。
そしてこれからここに書かせて頂くこと全てが広い意味での「ビジョン」です。
今の私としては、“満20年の感慨”もそこそこに、この20年の経験、それも、成功よりもむしろあまりうまくいかなかった事、やれなかった事から目を背けることなく向き合って、同じ間違いを犯さないことが重要だと思っています。
人間は、習慣の動物ですから、仮に過去それが原因で失敗したり、跪いたりしても、自分の考え方や行動を変えられず、2度3度と同じ過ちを繰り返す習性があるように思います。私も過去に大小の失敗をしましたが、大きな失敗に繋がる時は、最初の失敗や小さな失敗を軽微な段階で絶ち、修正できなかった時であるということを学びました。
そういう意味では、この20年の中でも、私はいろいろな失敗をしました。
2000年代初頭に起こったITバブルの崩壊時や、特に2008年のリーマンショックに端を発した派遣業界バッシングとその後の業界景気の悪化に伴う自社の経営危機は、単にバブルの崩壊という外部環境のせいにすることもできますが、よくよく考えると、経営者である私が、それがもたらすかもしれない危機の予兆を感じとっていたにもかかわらず、現象が起こる前に自分や会社の方針(考え方と行動)を決然たる態度で、変えられないかったことが、本質だと今の私には、はっきりと分かります。
そして、それから7-8年が経過して、又ふたたび、この業界も会社にも次の危機が忍び寄っています。偽りの景気回復の中で、そこそこ需要が回復している中、ここ1~2年求人媒体に人材募集広告を出しても、思うように人の採用が出来ません。
特に、それは私たちのような技術、それもIT分野の技術者の採用の世界で顕著になっています。
創業20年間の中では、確かに何度も、人が採用し辛い局面は、ありましたが、どうしても人が必要な時には、単月や、四半期の募集予算を赤字にすれば、なんとか、なっていたのです。
ところが今回のIT技術者採用危機は、私の会社設立来20年、業界経験30年の歴史の中でも、恐らく最大なような気がします。
そういう意味では、この危機的状況、うまくいっていない事にきちんと向き合い、何をどう変えていくのかということが、“これからのテクノウェイブ”の“再飛躍の条件”だと思っています。
さて、“これからのテクノウェイブ”の“再飛躍の条件”とは、何でしょうか。
それは一言で言えば、このテクノウェイブの代表である私とこの組織の「失敗の経験と強みを生かす」ということに尽きます。
業界の常識にとらわれたり、他社がやっていることに横並びに追随するのではなく、「経験を次に生かし得手に帆を揚げる」という姿勢こそが、私達テクノウェイブが今後、3年以内に再飛躍を実現する経営の要諦であると信じています。
私の大切なメンターの一人に、人材開発、人材サービス業界のカリスマである故小野 憲さんがおられます。
この2016年4月に国家資格として認定されたCDAの生みの親であり、株式会社日本マンパワー、世界No.1の派遣会社 現アデコジャパンの前身であるキャリアスタッフの創業社長だった方です。
私はその小野さんの元で、最後の最年少役員兼グループ幹部として約10年間公私に渡り色々なことを教えられました。
今思うと、私も小野社長も、直観的に鋭く物事を察知する典型的なB型同志で、お互いに何を考えているのか良く分かるが故に、かわいがられると同時に、よく怒られもしました。
その小野さんがよく一緒に温泉に行く車の中で、「おい、吉田。分かるか?勝つも負けるも条件次第だぞ。」と私の耳にタコができる程、仰っていたのを、今でもありありと思い出せます。
私が小野さんの右腕の一人として仕えた時期にも何度もピンチがありましたが、いつでもいたずらっぽく「ピンチはチャンスだ」と笑いながら、仰っていました。
しかし愚かで物事の本質が分からなかった未熟な私は当時「負け惜しみですよね。」とか誰も言わない突っ込みを入れて、逆鱗に触れる二重のバカっぷりをよく発揮していました。
今思うと、正に、ピンチはチャンスというのは、真理ですが、ピンチをチャンスに転ずることができるか否かは、その人次第ということに当時の私は、本当の意味では、気付けないでいたのです。
今は逆に、そういうことが、人間にとって自分にとってどういう意味を持つのかということが、文字通り皮膚感覚で分かります。
この感覚が自分の中に生まれると、当社の行動理念の中にある「知行一致」ができるようになり、今まで自分が分かっていると思っていたことが分かっていなかったんだと分かり、その瞬間に自分の中に知恵が降りて来ます。
すると、どうすればいいのかという道筋が自然に見えてきて、できないと思っていたことが、できるんだと分かります。
人間は“できる”と思っていることは自然にその通りにしますので、できるべくしてそれが出来、結果として私達は色々なことが実際に“できる”ようになるのです。
聖書を始めとして、世界中の金言の中に、
「求めなさい。そうすれば与えられます。」
「真の目的を持てば、達成される。」というような言葉がたくさんあります。
しかし私は、このテクノウェイブ創業時こそは、強烈な使命感、目的意識を持っていましたが、やがて何かを得ていく中で矮小な自己満足の中で一番大切なものを見失っていたことに最近になって気付きました。
20年の社歴の中で、12年連続増収増益という一見輝かしいようなこともありました。
それ自体はある意味素晴らしいことですが、その中身、本質においては、残念ながら独りよがりで重要なことは何一つ成し遂げられてはいなかったという“気づき”が今となっては一番の収穫です。
この後、社会における価値観の変化について改めて言及しますが、当時の自分の会社を支配していた価値観が、これからの多様性の中に本質が輝く時代にはもはや通用しないということを、その貴重な経験の中で教えてもらえたということです。“結果がすべてでプロセスはどうでもいい”という考え方や、
“私は頑張っている。(だけどあの人は違う)”
“俺はすごい。(だけどお前はダメだ)”
(勿論、目の前の人に面と向かってあからさまに口に出すのは論外ですが、思っただけでも本質は同じことです)
又、仮にそれが私達、俺達と複数形になったとしても、それは派閥のようなレベルの低い普遍性のない在り方です。
―私達は素晴らしい。(だけど、あの人達はそうじゃない)―本質はたいして変わりません。
20世紀にはそういう成功パターンはたくさんありましたが、新しい世界は「それはもういらない」と言っているのです。
何故ならそれは、結果最優先の短絡的な志向の先で本当に大切な何かが確実に蔑(ないがし)ろに されるのです。
「私は素晴らしい。(だけど、あなたはそうじゃない)」という価値観は、無条件の人生の素晴らしさを半減させます。
同時にその人が関わっている組織に当然微妙であるけれど確実に「負」の影響が出ます。
逆にこの価値観の呪縛から解き放たれると、その個人も組織も大きな力を得て、強くしなやかに無条件に輝き、すばらしい成果に結びつくのです。
これこそが私達が本当に望んでいたウィンウィンの世界です。
先程申し上げた
一番大切なものとは、自分達にとっても社会にとっても意味のある「ビジョン」を持って、自分自身に強く求め続けるということだったと、小野 憲という偉大なカリスマのことを思い出し、自分に強みとして何があって、何が欠けていたのかをここにきて改めて気付かせて頂いたのです。
さて、これからのテクノウェイブの再飛躍の条件を考える時、もう一つお話しておかなければならないことがあります。
それが、先程少し申し上げた一見目には見え辛い私達が生きるこの社会における潮目の変化です。
私がテクノウェイブを創業した1990年代当時は、かつて想像もしなかったような社会的経済的変化が、頻発していました。
銀行や大手の商社、証券会社が経営危機に陥り、統合合併したり、廃業したりというようなショッキングなことが日常的に起こっていました。
それから、暫くして、私達組織の上に立つ人間が痛感した大いなる計算外が、目に見え辛い社会における価値観の変化ともいうべきことでした。
私達の世代にとっての座標の中心のy軸は、あくまで迷うことなく「自分」であり、「自分が中心」でしたが、昨今の若者達は、ともすれば、自分を差し置いて、「皆とか皆の為」などと言って社会性を自分の人生の座標のy軸に据える傾向があります。
それがここ4~5年の技術革新(タブレット端末の爆発的普及)で、こういった若者達の価値観の変化が、社会のニューマ(空気)に確実に大きな影響を与え、現在進行形で世界が変わっている感を強くする今日此の頃です。
私の敬愛する“20世紀の経営のカリスマ”ピーター・ドラッカーが、晩年、21世紀は多様性の時代だと予言して、2005年に亡くなりました。
当時ドラッカーの言う多様性をあたかも否定するような世界の一体化を主張するグローバリズムが、巨大多国籍企業を中心に跳梁跋扈し、多様化とは真逆の均質化の世の中になるのかと、さすがのドラッカーも世界の潮目の変化を読み間違えたのかと、複雑な心境になりました。
しかし、それから10年、ITが本格的に人々のインフラになることにより、抑え込まれ存在感を失っていた多様性という価値観が頭をもたげつつあるように見えると同時に、それが社会に大きな変化を確実に与えているのが、皮膚感覚で分かるようになりました。
“流石(さすが)ドラッカー”そんな感じです。
社会のニューマ(空気)の変化を自分なりに考えると、この業界に入って30年、結果的に今までは、大きく仕事の仕方を変えずになんとかやって来られましたが、これからは「そうはいかない」と直感的に感じます。
私は30年以上前、終身雇用全盛期の日本からたまたまアメリカの地に立ち、紹介や派遣の人材サービスの隆盛の息吹を肌身に感じ、この業界に身を転じる決断をしました。
私は現在、久しぶりに、その時と同じようなワクワク感、何か新しいことが始まる予感のようなものを直感的に感じています。
今日、2016年9月14日は、会社設立満20年の記念すべき日ですが、自分の関心は我ながら不思議に思うほどもう過去にはありません。
この社会のニューマの変化を受けて、私のここ3-4年の最大の関心は、改めて組織が飛躍する為には、その構成員一人一人の真の成長と活性化が必須になるということと、正社員や契約社員、派遣社員という働き方の枠を超え、常識にとらわれない生き方の可能性の提案という切り口の人事サービスで、個人の能力や人の成し得ることの可能性ということに、スポットライトを当てて、仕事そのもののイメージや人生に対する考え方を進化させられないかということです。
この30年間、派遣という働き方には、ある種の固定観念やイメージが定着しました。
しかし多様性というニューマの中で、均質化された「大衆という塊」ではなく、
多様性のある個人として、一人一人が自分なりの「自立や自由、豊かさ」というものを
今までの常識にとらわれずに、勇気を出して本気で追求しようとする時、垢(あか)にまみれた過去の「派遣」という働き方のイメージが、全く別の輝きを放つ可能性があるのではないかと「マジで」思っています。
その為に、私達は単なる派遣業という在り方に、
「自立・自由・豊かさの為の人事サービス提供会社」としての機能と在り方を付加し、
更に、その先の「共創」(―みんな素晴らしいという価値観の中で創り出されるより良いもの―たぶんこれが、 私達テクノウェイブだけでなく日本中のあらゆる心ある組織を次のステージに押し上げるでしょう) を視野に入れ、次の20年を全身全霊で、プライドを持って、試行錯誤したいと夢みています。
この20年間を支えて下さった全てのステイクホルダーの皆様に深く感謝すると同時に、そのご恩に答える為に、私達テクノウェイブは、今申し上げた「新たなビジョン」を高々と掲げ、邁進する決意です。そうはいっても、まだまだ未熟な私達です。
今後は、いままで以上に本質的な視点で、「自分達を磨く」ということに取り組みながら、「自分達のビジョン」に少しでも近づき、やがてそれを実現していく所存ですので、いままで通り変わらぬご指導、ご鞭撻を宜しくお願い致します。
20年間ありがとうございます。そして次の20年にワクワクしながら歩める
「私達の可能性」に感謝しながら、一日一日を大切にしていきたいと思います